【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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菩薩行、映画「商道」主人公イ・サンオクの生涯を通して菩薩行について考える!!

〈更新日: 平成28年7月5日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

一般的に「菩薩」を説明する場合は、「悟りを求めて修行する人」という答えに成ります。
では「悟り」とは、「修行する人」とは何んだという疑問に突き当たるかと思います。
「神様は、全宇宙の真理を創造した」といわれても、ではその「神様」はどこにいらっしゃるのだと疑問を持ってしまいます。
それでは、「全宇宙の真理そのものが仏様又は、神様なのだ」と説明されてもピンと来ません。
簡単に「仏様」とか「神様」と言って見ても、分かるようで分からないのが皆さんの本音だと思います。
それでは「全宇宙の真理とは何か」と言ってもこれまた何のことやら分かりません。
宗教哲学を一口の言葉で説明しようと試みても理屈っぽくなってしまい簡単な話には成りませんね。
こんなことから宗教を理解しようとすると、理屈を理解するのではなく「信じなさい」という言葉に繋がっていってしまいます。
でも訳の分からないものを「信じなさい」と言われても、そうそう簡単に出来るものではありません。
そこで宗教を理解する為に必要とされるものが「悟り」所謂「自分に気付く」と言う行為が一番の近道となります。
そして、このことによって「仏様」、「神様」を見つける一番の近道の行為に繋がって行きます。
では、何に「気付く」のでしょうか。
一つの方法として全宇宙という抽象的な命題よりももっと身近で自分の周辺にある自然の真理(法則)に気付くことが一番の近道と言えます。
例えば「万有引力」という真理(法則)です。「リンゴは、何故木から地面(地球上)に落ちるのだろうか」と疑問に思った人がニュートンです。ニュートンは、地球上では物体と物体との間には、互いに引き合う力が有ると気付きました。しかし、この万有引力という真理(法則)は、私達の目には見えませんので自分で気付くという方法をとらなければ理解出来ません。
また「空気」は、目には見えませんが、生き物が呼吸をする時、空気中の酸素が無ければ生きて行けません。これもごく当たり前の真理(法則)です。そして、空気を吸ってみて初めて空気の必要性、重要性が理解できます。
所謂、このように「自分に気付くこと」を別の言い方をすれば「悟り」ということに成ります。
ですから「悟り」とは、何か特別な人が深遠で高邁な特別な世界の事を知る事とは違います。
このように私達一人一人が日常の当たり前と思っていることに「気付く」ことの事こそ「悟り」なのです。
そして気付く為に勉強したり、高説を聞いたりして知識を広める努力する事を「修行する」と言います。
断食、滝行、水中の禊など体を痛めつけたり、鍛えたりする事を「修行」と思いがちですがそうではありせん。
ですから自分が何かに気付く為に努力、勉強、精進することこそを「修行」と言います。
そしてさらに「自分で気付いた事」を人々に教えたり、教えや物品のような見える形で民衆などに分け与えたりする事を「菩薩行」と言います。
 イ・ビョンフン監督の代表作の映画「商道」から「菩薩行」について考察してみます。
この映画は、19世紀朝鮮王朝時代実在の大商人イ・サンオクの波乱に満ちた生涯を綴る映画です。
イ・サンオクは、貧しい境遇に生まれながら私利私欲よりも、人の為、世の為に商売を行い高麗人参貿易で巨額の財を成した大商人です。師匠ホン・ドクチュルから「商人は、金ではなくて人を持って財となせ」、「人が残ること、それが利益なのだ」と教えられました。そして、サンンオクの晩年は、そのホン・ドクチュルから教えられた商道の真髄を開花させて巨額の財産を作り上げました。彼の晩年には、作り上げた全ての財を民衆に分け与えると宣言して貧しい万民救済の為に財を投げ出し、奔走しました。
そして、商道を追求した商人哲学と知徳を持って苦難を乗り越え、奴婢から高位官職に上った人物でもうります。
またイ・ビョンフン監督が描いたこの映画は、自分のことは大事だが、それ以上に常に他人を意識した心、救済行動を起そうとする密教の「自利利他」の思想を真正面から取り上げ、映画の中で描いていることを賞賛し共感できるところがあります。
 兎角、巨大な富を得た人間は、欲の塊となってさらに貪欲性を増してゆくのが過去も現在も未来も変わりません。
しかしイ・サンオクは、「財は、一時そこに溜まっても必ず上から下に流れて行くもの」、「手元に巨額な財を持ってもそれは一時的なものに過ぎない」とお金を社会の物や人の間を走る血流と捉えます。そして、財を手元に残さず下流の民衆に分配しようと考えます。これは、明らかに自分の気付きに沿って民衆に心や財を還元しようとする「菩薩行」に他ありません。
仏教では「貪瞋痴」という三毒を一番嫌います。
それは、人間が良くの塊となって一番陥りやすい悪魔の場所であるからです。商道の映画は、この三毒から解放された一人の「菩薩」としてイ・サンオクを描き、本来人間として有るべき社会的な姿勢をイ・ビョンフン監督が知らしめようとしている内容だと認識しております。

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