【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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心の根源から湧き上がる偉大な力

〈更新日: 平成30年10月 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

今年、平成30年度は実に大きな事業を行った。
総額約3千3百万円を越す事業だ。
札幌にお寺を構えて、この11月26日で最早15年を迎える。
毎月、お寺を立てたことによる銀行支払いに追いまくられ、1ヶ月がようやく終わったかと思っていたら、また、すぐ次の月の支払来に追いまくられること言った15年の月日がアッと言う間に経過した。
お陰でヒィヒィー言いながらも大過なく過ごす事か出来、札幌のお寺も徐々に充実し、外から見ても何かしら変わっているなと感じさせるほどに成ったような気がする。
我ながら良くやっているなと感じている今日だ。
今年は、分院の整備事業の他に長年の間希望で有り、目標としていた永代納骨墓の新規設置事業も出がけた。
お陰で10月一杯で完成して11月1日から供用開始することが出来る様に成った。
これまた、お寺としての大きな事業を終えたことに成る。
明治時代から約百年に渡ってお預かりしている戦争犠牲者や過去者の無縁仏の遺骨が約百体ほどお寺の中にある。
この遺骨の後始末がお寺の長年の課題であった。
それが今回納骨することが出来、そしてまた新たなこれからの社会の進展を見詰めて行う遺骨葬儀、永代納骨と言った新たな事業展開に結びつけることが出来たのだ。
その出発の事業が完成し、一仕事を終えてホット一息ついている所だ。
また、今年は、これまた長年の懸案事項で有った私の新規本「虚空蔵求聞持行回想と現代社会で実践している事例記録」と称して回想記録本を出版することが出来た。
表題は、堅い言葉で描いてあるのだが、本の中味や内容、文章は、いたって読みやすく書いてある。
読んだ方からの感想をを聞いて見ると、「一度読みだしたらスッと中に入ってゆけ、臨場感やリアル感を感じさせる面白い本」との評価を受けている。
心なしか、以外にも反響の良さに安堵の気持ちが漂っている。
さて、これら一連の事業を行う際に感じている事は、何かしら私に対して大きな、偉大な力が私の心の中に作用し、加わっていることに気付かざる得ないことにある。
「仏の力」と言ったら良いのか「神の力」と言ったら良いのか表現に迷うが兎に角、「偉大なる存在からの力」なのである。
私は、辻井伸行さんのピアニストの演奏が大好きである。
全く目が見えないなど単なるハンディキャプを乗り越えたピアニストと言った賞賛といった類のものではない。
音楽の中、演奏の中に秘める「慈愛感」、「深みを感じさせる包容力」、「流れる音のつなぎの中から感じさせ、生き物として全ての生物が持ち合わせている根源の心の中での繋がり」など一口では表現できない魅力が湧き出て来る。
佐渡渡利先生ではないけれども、辻井さんの演奏を聞くたびに魂、スピリットが揺さぶられ、共感して自然に体が震え、涙が止まらない喜びにあふれる。
常に曲の流れが身体に残り、辻井さんの音の余韻に浸っている私を感じているのである。
辻井さんの演奏には、「偉大なる力」、「神がかった力」を常に感じている。
人間一つの技や人間力に技量を掴み、深みを掴んでいる者は、得体の知れない途轍もない力を感じるものだ。
これは、今回の「虚空蔵求聞持行回想」をまとめる際に特に感じていた。
確かに私が35年以上も昔に行った修行なのだが、単に修行結果をまとめたのには過ぎてはいなかった。
それは、その結果や課程から生まれている様々な見えない力が自然と私の中に身に付いている事を知っているからだ。
そのことによるのか、私の行う祈祷力、供養力など仏教という教えを実践するために必要な「何かの力」、「偉大なる力」が自然と湧き出て来るからである。
辻井さんと同列に見るのも奥がましいが、ただ感じている事は私自身も辻井さんが感じられているが如く、同じようにある一面でのプロフェショナルなる力、専門力とでも言うべき何かが身に付いている証拠なのかな感じるものなのである。
この続きや遺骨葬儀、現代社会の諸問題など「私が持つ偉大なる力から見た次の視点」などについては、もう少ししてから一冊の本にまとめて見ようと考えている。

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