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〈空海〉
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空海は、宝亀5年(774)、讃岐
(現四国)に誕生した。
15歳で伯父阿刀大足(あとうのおおたり)につき勉学し18歳で大学に入る。しかし、立身出世の風潮を嫌い仏門に入ることを決心。
19歳の時、奈良大安寺の大徳勤操(ごんぞう)により得導(とくどう)、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を授かり大竜ケ嶽や室戸岬で修した。
延暦23年(804)藤原葛野麿(ふじわらかどのまろ)を代表とする第16次遣唐使に随行。途中遣唐船が難破して福州赤岸鎮(せきがんちん)に漂着したが同年12月目的地である唐の首都長安に到着。
翌年夏、長安青竜寺の恵果(けいか)和尚とめぐりあい千人を超える弟子の中から空海ただ一人に密教が伝授された。その結果、空海は密教第8番目の祖師となった。空海31歳であった。
その時与えられた名前が遍照金剛(へんじょうこんごう)である。
また当時世界の中心都市である長安で工学、医学、文学、占星術、文化芸術、サンスクリットの他にキリスト教などの異宗教も学び日本に持ち帰っている。
このことは今日の日本文化の基礎を築いたばかりでなく、イロハ歌を通じて47かな文字作りに影響するなど日本教育の基礎を作った。
唐に渡って2年後空海は、大同元年最終の遣唐船により日本に帰国。
帰国後平城天皇から真言宗の立宗が認められ真言宗が始まった。
弘仁7年(816)嵯峨天皇から高野山を修行の山として、また苦悩する人々を救済する為、勉学の為の寺として東寺が与えられた。
弘仁12年(821)讃岐地方の農地潅漑の為に満濃池(まんのういけ)を築き、天長5年(828)京都に日本最初の大学である綜芸種知院(しゅげいしゅちいん)を開いた。
承和2年(834)3月21日62歳で高野山奥の院に入定(にゅうじょう)された。
弘法大師の称号は、空海死後100年を経て後醍醐天皇からいただいた。
今日、お大師様といえば弘法大師の意味を持っており庶民に大変親しまれた御祖師様となっている。
| 〈注釈〉 |
得導
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お坊さんになるための最初の儀式。
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虚空蔵求聞持法
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ノウボ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリ ソワカという虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える密教の修行。この行に成功すると頭脳明晰になり、仏様の世界を見ることが出来るといわれている。
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恵果和尚
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当時の中国で密教の全てを習得していた高僧。
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祖師
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正当に密教の教えを代々受け継いでいる僧のこと。
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遍照金剛
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ダイヤモンドのごとく硬く、かつ隔てなく全てを照らすという意味。南無大師遍照金剛は、ここから生まれる。
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高野山
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真言宗の総本山。金剛峰寺や弘法大師のお墓などがある。
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東寺
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京都市にある真言宗のお寺。毎月21日は、弘法市で賑わっている。
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満濃池
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今日いまだ使用されている日本最古のアーチ式ダム、黒部ダムのアーチ式工法に応用された。
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綜芸種知院
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日本最古の大学。現在京都に現存。
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入定
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亡くなっても生きたまま座って私たちを見守っているという意味を持つ真言宗の信仰上の言葉。
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