【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「心を通わせる話芸」

〈更新日: 2002年09月10日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

 8月28日、当寺院「秋の大祭」に落語会の大御所、上方落語協会の会長でもある 桂 春団治師匠をお招きし、古典落語をご披露いただいた。

大御所であるだけに、まさかこんな田舎まで来ていただき、名人芸をご披露いただけるとは、全く夢にも思わない大変な出来事だった。

本物の落語を聞いたというよりも、むしろ体で味わったという言葉の方が適切だろう。

私などは、落語に関してはズブの素人であり、師匠を評価する資格など持ち合わせないが、とにかく「すごい」の感想一言が私からの評価であった。

今回のお題は、「番町皿屋敷」

たまたま、つい先だってお盆が終わったばかりであり、しかもお寺だから相応しいテーマだったという訳ではないが、
「主人公のお菊さんの幽霊姿」
「舞台の中心、番町皿屋敷」
「江戸町民長屋」
「脇役になる町民達」
「屋敷に通じる寂しいあぜ道」
「恐れおののきながら歩く町民達の姿」
「ひっかける酒の飲みっぷり」
「震える身体に、小走りに歩く姿」などなど

落語に登場する人物の表現描写、舞台になる情景や背景描写、夏の情緒も含み、まるで目の前に映像が走るような錯覚を覚えさせた。

師匠の話芸は、登場人物や舞台となる情景、背景を、身振りや仕草により聞き手に如実に連想させ、話の中にまでグ~イと引き込んでしまう、古典落語の心髄を伝える本来の姿を持っている。

一人芝居とも言える誠に見事なものだった。

後味の何と快いものか。
いかにも美味しい食事をして、また食べたいと思い起こさせる食感と同じものを残してくれた。

「話芸とは、こんなにすごい芸術なのか」と結論づけさせてくれた瞬間だった。

わずか30分程度だつたが、後に残してくれた余韻は、永遠の味わいとなって残っている。

 さてその夜、これほどまでに感動させてくれた春体治師匠と奥様とをお迎えして、杯をかたむけながら懇談した。

お酒が好きなようで、ほろ酔い気分がさらに饒舌にさせていった。

「落語は、基本をきっちりと正確に習い、何度もこなしながら自分のものとしなきゃいけません」

「昔は、師匠から直接稽古をつけてもらったことなどなかった。ただ師匠のお供をして、師匠が演ずる高座を見せてもらったことが唯一の稽古。その点、今の若い人は、恵まれている」

「わしなどは、若いもんにタダで教えてやっておる。タダでだよ」

「わしの歩き方は、こうやるんだ」

「ひざを使って全身で歩くんです」

「ただ腕を振っても、身体をゆすってもダメですわ」

「これも習ったものを、後で自分のものにした芸ですわ」

「今のわしらは、小さいながらも家を持っているが。昔は、落語家なんぞ、食うて行くのがやっと。みんな長屋暮らしだった。だから長屋のネタが多いのは、その為ですわ」

こうやって、ほろ酔い気分に乗じて、落語のノウハウとも言うべき秘術を実演までして、ご披露いただいたことには感激した。

また、大変な信仰家でもあった。

「私どもは、毎年大阪の成田不動さんの所に行き、高座を開き、お寺のお手伝いをしとるんです」

「お寺には、桂の紋が入った裃(かみしも)まで用意してくれて、これはあんたの着るもんと用意してくれとります」

「そんなことがあったのか、何かの縁ですな。ここのお不動さん前でご披露さしてもらったのは」

「お寺に着くなり、玄関上に成田山の額がかかっておりまっしゃろ。あれが、すぐ目に入りましたわ」

「不思議なご縁ですな」

こう言ってお不動さんとの結びつきや不可思議さを語る、一こまを聞かせていただいたことも、師匠の持つ「心の広さ、深さ」を印象付けるものとなった。

そしてもっと大きく感じさせたものは、これだけの著名人で実力者でありながらも、実に謙虚であるということである。

師匠に支払った謝礼などは、恥ずかしい程度のものだが、

「金じやない。落語を知ってもらうため、上方落語発展のためには、どこででもさせてもらいます」

「いつでも、また呼んでください」

こう言って「落語をさせていただく」という姿勢を貫かれていたことには本当に頭が下がる思いがした。

このことは、同時に我々のような思いあがりの傾向にある現代僧侶にとって、良薬を与えていただいた思いをさせられた。

 さて、師匠といろんなお話をしている間に、仏教と直接通じる心をたくさん発見できた。

その中でも、師匠の話芸の中に見られた
「ストーリを話す言葉」

「登場人物、情景、背景を描写する身振り、仕草」

「お題に沿って伝える落語の心」
などは、密教の教えそのものであると感じさせられた。

そして、この3つの話芸が実に見事に調和、融和さらて最後の「落ち」まで導かれていることだった。

これは、密教の中でいう三密そのものと、私は感じ取ったものだ。

三密は、仏様が教え、伝える宇宙や自然界の表現方法をいうが、

「身体によるジェスチャー、例えば、仏様が示す指、腕、顔、目などによる表現」

「口によるコトバ、例えば、お経が示す真理」

「仏の心、いわゆる「法」によって真理を示す手段」

これら3っつを「仏様の身(しん)、口(く)、意(い)」という。

また、「私たち衆生が持つ身、口、意」の3っつを、私たちが、自ら行じ、自らを高めて、仏様の内面にまで通じ、仏様と自分自身とが一体融合する、「即ち即身に成仏すること」を目指すのが密教の教えである。

実に、師匠の話芸には、この密教の教えの内容そのものを実現されていたと感じ取った。

難しい説明になってしまったが、
「心を通わす」には、「道に通じ、極める」ことが出来れば、黙っていても容易に「互いの心は、通じ合う」ことを言っている。

それも名人芸という特別なものではなくても、
信仰を通して心を養い、人間性を高められれば、「他と心を通わす」ことは容易に出来る。

現代のような忙しい時代においては、歩きながら、走りながら「音や映像」を聞き流している。

しかし、じっくりと腰を据えて座って「話」、「芸術」、「音楽」、「絵画」などに目や耳を傾ける姿勢が大切ではないか。

こうすることで、自分以外の他人も自然も全ての物に「通じる心」を発見できると、今回の春団治師匠の落語を聞いてつくづく感じさせられたものだった。

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