【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「開発」と「調和」

〈更新日: 2003年01月05日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

平成15年元旦は、吹雪もなく平穏の内に幕が開いた。

昨年から日本を含めた世界中が、不穏な動きを見せながら年の瀬を迎えていただけに一応は、ホット一息をいれているところだ。

しかし、本年は、果たしてどんな動きになるのか、年頭の護摩の火からも、時の移り変わりの激しさだけは指し示していた。

予想するところでは、イラクとの戦争、北朝鮮との衝突、パレスティナ騒動、べネゼーラ等南米の不穏な動き、イスラム教世界とキリスト教世界との宗教、文明衝突は、大なり小なりの連続頻発は、避けられないものと見ている。

特にイラク問題は、戦争に発展する確立が非常に高い。また北朝鮮との間でも一触即発の危険性が大いにある。

そんな中、日本の政治経済にも緊急な諸問題解決に迫られ続け、世界の潮流に沿い大きな変革の波が押し寄せている。

私どもの田舎でも、同様にその波からは逃れられなく、瀬戸際までに追い詰められている。

そんなモヤモヤした気持ちを持ちながらお正月を迎えたていたら、元旦の日本経済新聞に「街には、無があふれていた」と題する記事が載っていた。

「無目的、無作法、無責任、無批判」加えて「無気力、無関心、無常識、無自覚、無表情、無自己、無抵抗、無意識、無能力、無学力、無教養、無節制、無定見、無プロセス」の20無主義がはびこるのが現代だそうだ。

この記事を見た時、これが日本の現実なのかと思うほど絶望的になった。

一昔は、「無気力、無責任、無関心」の3無主義時代と呼ばれていたが、今では意識、気力など人間が本来持ち合わせている能力全てを見失い、投げ捨てている現代人の浅はかさに思い知らされる。

激しい世界情勢に巻き込まれている今、足元を見れば、それこそ散々たるお粗末な姿をしている日本は、とてもまともな国とは思えない。

こんな絶望的とも思われる日本に住む者にとって、いったいどのような考え、理念でこれからを歩むスタンスを持ち合わせなければならないのだろうか。

 言うまでもなく昨年から今年にかけて日本の国内事情は、これまで過去にみられないほどの最悪期を迎えている。

経済、経営は最悪。失業、雇用も最悪。そして社会環境、学校を含めた教育環境も最悪だ。

一つ一つ個々の問題を取り上げることはしないが、それぞれの分野の対応者は悲壮感まで感じている毎日だろう。

しかし、ここで今、考えなきゃならないことは、今日、明日の生活に走ることも大事だが、この最悪期を迎えた日本の現代社会や現代人間、地域社会や地域居住者に対して、「未来永劫に明るい展望を持てる意識をどうやって植付けできるのか」ということにある。

その為には、単に経済の回復すればよいというのではなく、日本人の底流に流れる確固たる、自信の持てる、誇りの持てる日本国、日本人としての根本思想の確立が必要であると思う。

所謂、「日本のアイデンティティー」の確立である。

現在は、政治、経済を含めた多くの評論家、批評家達の百家争鳴の時代だ。

その彼らの多くの考えも一部分には的を得たものがあるとしても、現代社会、現代人間を導いていけるだけの度量を得ているものは一つもない。

だから彼らの考えや評論を聞く私ども一般民衆にとっては、どれが正しくて、何をまともに信じて良いのか分らないのが現状だ。

そして判断基準を見失った民衆は、自分が何かで席を占めたグループの長、新興宗教集団の教祖と称する者の言葉を無批判に、簡単に、妄信的に信じたふりをするのである。

特に最近の新興宗教集団にその多くの傾向を見る。

所謂。無自己、無批判、無思想の人間模様の現代社会である。

さらには社会の規律、決まり、常識を身につけず、社会や他人を無視した勝手な振る舞い、過激行動。そこには何の反省もない。無常識、無定見、無反省、無プロセスである。

政治や社会の問題に目をそらし、問題を提起、提示しても無関心を装う。無関心、無反応である。

平気で他人を傷つけ、盗みを働き、殺すことさえもためらわない。無表情、無責任、無節制である。

「ざわっとする」そら恐ろしい社会だ。

どうしてこんなにまで日本社会が悪化したのだろうか。

こんな大人の無自覚とも言える社会への非参加型現象は、子供の家庭教育、学校教育など教育環境にまで大きな影響を与えている。

それは、私ども田舎の学校でさえも学校崩壊の現象が起きている現実を見る。

これでは、最悪の国情に染まった最低の国と酷評されてもしかたがない。

 弘法大師は、「物の荒廃は、人にある」と言っている。まさにその通りになっている。

これまで日本人が持ち合わせていた「思いやり」、「いたわり」、「共同意識」、「縁のつながり」など、世界の手本とまで言われ続けてきた、良き日本の集団思想はどこへ行ってしまったのか。

今や日本の「アイデンティティー」を再構築しなければ、日本人としての自信や誇りが微塵もなくなってしまう。

今、必要に迫られた緊急で大きな課題を背負っていると感ずる。

 私は、そこに主張したい言葉が「自他の利益」の考え方である。

自分と他人とが同じ土俵の上いることの意識、そして存在意識。

自分の喜び、悲しみ、恐ろしさを分け合うことが出来、他人の喜び、悲しみ、恐ろしさをも分かちあえる「心の有り方」を協調した思想である。

加えて「自他の利益」の考えには、「自己の修練」所謂「自己の開発」を行うことで「他の存在力を無視できない」と観ずる意識が生まれる力と要素を持っているところにある。

それは「開発」と「調和」という考え方に通じることだ。

 昔、日本の高度成長期には、公害、環境破壊、人間疎外といった一連の社会問題に対して目を向けていなかった時があった。

その結果、イタイタイ病、エイズなどの公害病患者が発生した。またゴミの山に埋もれ、山林伐採による土砂崩れ、海洋汚染が発生し、過大な車社会が光化学スモッグや地球温暖化現象を生んだ。

そして、この反省に立って考えられたものが「経済成長」と「環境問題」との調和がいかにあるべきかという点に向かった。

これこそ「開発」と「調和」の考え方であった。

その時から日本を含む世界の歩みは、二酸化炭素の排出規制であり、核廃棄物処理問題であり、廃棄物リサイクル社会の構築といった、自然環境と産業発展とを調和する具体的な施策にもとづいた対策、考え方になった。

最近は、この考え方に加え石炭、石油、原子力に代わるエネルギーは何か、またその代替エネルギーを使った車、コンピューター、発電、発熱の技術開発は何かと発達している。

そして自然環境と調和する技術をどのように開発するかを、これから国の向かう政策として取り入れられた。

これは今後大きな新しい潮流を生む原動力を予感をさせている。

「自他の利益」の思想には、このような未来を見詰められる考えが含んでいる。

私は、この「自他の利益」の思想を「アイデンティティー」の中核に置くことで、今後の日本、日本人が歩んで行ける底流を築けるだろうと考えている。

いずれにしても、「アイデンティティー」作りに国を挙げて研究する必要がある。

再度、「自他の利益」の思想を強調するが、
この思想は、「一方の成功は、同時に相対する他方の成功をも誘導、調和させようとする両存並立の考え方」につながっている。

今日は、強いものだけが勝つアメリカ型社会だが、これでは必ずイビツを生む。

現代、世界ではアメリカ型の弱肉強食にのみしか生き残れない社会、即ちグローバル化システム、アメリカ一国主義に反対する運動が盛んだ。

これはグローバル化によって見捨てられるローカル、地方地域の生き残りがどうすれば可能になるのかという考えから発生している。

アメリカ、東京、大都市だけが強調され、生き残れるとされる現代アメリカ型グローバル思想は、問題があり欠陥がありすぎる。

地球環境を考え、地域社会を考え、社会的弱者に目を向け、そしてゆっくりとした経済社会、進歩を目指した考え方が今必要である。

このためにも地球環境、自然環境に目を向け、これらの調和のできる産業構造、技術立国を図ることが今求められ、確立させていく必要がある課題だと考えている。

本年は、この為にも日本の「アイデンティティー」作りを真剣に対応するべき年に指し当たっているとみている年頭である。

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