【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「カラスのつがいの触れあいから」

〈更新日: 2005年02月07日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

 お寺の境内にあるタモの木にカラスのつがいが宿っている。
卵を抱える五月頃にはカラスの夫婦共だって近くを歩く人を頭上から攻撃する。
危険でどうにもならない外敵だ。

とは言ってみてもこのカラスの夫婦の仲むつまじさは比類を見ない。
どこからか小枝やビニールハンガーを集めてきては、せっせと巣作りをする。
巣作りは、まだだが、タモの木立の上でかわるがわる何かを運んでは、カラス語で語り触れ合っている光景がみられる。
随分仲がよいなと感じさせられる。

がしかし、ゴミを出す時間になると決まって下へ下りてきてゴミ箱をあさるのである。
「コラー、カラスども!!」と怒鳴るのだが、一向に効き目が無い。
あっちを向いて「カァー」とすまし顔されると言葉もない。
これこそ憎き外敵だ。
しかし、実に頭が良い。ずるがしこいと感心させられる。

ただ、つがいの仲むつまじさは、互いに信用をなくし、物や金だけでしか成り立っていない現代人間社会やそこを構成する人間をあざ笑っているかのように見える。

カラスの夫婦だけではないカラスの集団そのものが、自分達の子孫を残し、カラスの砦やカラス社会を必死に守ろうとして結束する姿は、人の結びつきがなくなってしまった人間社会に警鐘を鳴らしているようにも見える。

同じように秋に故郷の川に帰ってくるシャケからも考えさせられる。
川で生まれた卵が稚魚になり、川を下って海に出て、子孫を残すためにだけ全力で成長し、大きくなり、そして再び生まれた故郷の川に戻って子孫を大量に産み残して死んでゆく。
そして、自分の死骸は、熊やワシなど鳥達の餌になり、また朽ちて自然の土に帰って行く。

子孫を残すため、シャケ社会を崩壊させない為に自然の摂理を演じているのである。
仏教的に言えば、輪廻転生そのものを示している。

これらの生態系をよく観察して人間社会と比較してみると、心を失った人間社会の浅はかさ、愚かさに気付かされる。

生物界では「生命(いのち)を生かす仕事」を一生かけて全精力を注いで戦い、行う。
それは、獲物を確保し、空腹を満たす仕事以外は、子孫を残す事、種の保存のために一生の命をかけるのである。

それは、種が生き延びようとする確固たる行いに他ならないのだが、生命を互いに守りあう本能的な姿は、ごく自然な営みだ。

昔の日本では、このような事例を引き合いに出すことほど愚かな問題はなかった。

しかし、現代の日本では、こんな事例を引き合いに出さなければ「生命を守る」、「生命をいたわる」といった説明がつかなくなってしまった。

現代日本人の心の有り様が、動植物が持つ本能的能力以下に成り下がってしまったことは、嘆かわしく、いったいどうなってしまったのだろうかとため息をつくばかりである。

 弘法大師は、秘蔵宝鍮(ひぞうほうやく)という著書を著している。
この著書は、仏道をこころざし、悟りの心が一つ一つ開かれて行く姿を10段階に分けて、一段階づつの心の有り方を説明し、密教求道者が最高の心の有り方までに到達するべく過程と到達点を具体的且つ端的に書き記した書物である。

この書物は、淳和(じゅんな)天皇が当時の仏教各宗派の代表に向けて、自派が求める仏道の姿を説明し報告することを求めたのに対してまとめた自論の思想集である。

その際、真言密教の求道の姿を要約して書き記し、真言宗を代表して天皇に報告した書物
を秘蔵宝鍮(ひぞうほうやく)と言っており、弘法大師空海が密教の各種経典を下にまとめ上げた密教思想の集大成のものだ。

私は、この思想について専門的に勉強している訳ではないが、自分の信ずる真言密教の座右の銘として読んでいる書物である。

この書物の中で、人間が悟りを求めようとして仏道を心がける者が、先ず描く心の有り方として一番最初に「異生羝羊心(いしょうていようしん)」という心の有り方を論じている。

この異生羝羊心という心のあり方は、それこそ動物的な心、所謂、ただ食べ物を欲しがり、ただ異性を求め一時的な性欲を満たそうとする心、ただ外敵をうちのめそうと闘争心しか持ち合わせない心の有り方を説明する。

二番目に論じているのが「愚童持斎心(ぐどうじさいしん)」という心の有り方である。
これは、他の縁により節食を思い、他者に与える心が芽生えることを言い、あたかも穀物の種を蒔いた後に発芽するように、心が芽生える姿を説明する。

以下第十段階の秘密荘厳心へと続いている。

弘法大師は、求道する人間は、必ずやこのような心の発達と成長を繰り返して崇高な求道者、所謂、菩薩者となるのだと想定しており、一般的な人間も含め心の発達をしながら、人間として成熟して行くのだと考えている節がある。

そこには、あくまでも仏様を信ずる心を持った人間であれば、必ず心の発達があり、心と身の成長に伴い、この生きたままの姿、世界においても崇高な成仏という世界に到達できるのだと規定している。
所謂、即身成仏の思想である。

しかし、どうであろうか現代の日本人を見ていると、そんな論法は論外で、心の発達どころか心の退廃して行く姿がみられるのである。

それは「信ずる心を失い」、「思いやる心を失った」人間達が社会を構成しているに他ならないことを意味している。

前述したカラスのつがい、シャケの本能的習性などは、生物学的には当然のことであるのだろうが、こと人間社会に当てはめて考える時、子を思い、子を守ろうとする人間社会での本能的な仕草はどこへ行ったらやである。

今日、立て続け頻繁に起きている子供への虐待事件、刺殺事件、殺傷事件が多発する現実に、カラスやシャケの仕草と比較する時、それこそ恥ずかしさをぬぐいきれない思いがする。

今、必死にその危機を訴え、何かをしなければという思いがつのる。

昨年、NHKで藤沢周平先生のシリーズが放映になった。
中でも「蝉しぐれ」という作品が何度も再放送されていたが、この中で表現されている「お福」と「文四郎」との間の悲恋物語が、本当に愛する者の前に立ちはだかる現実の高い壁を前に葛藤する愛の心のやりとりや触れあいが、本来あるべき純粋な心の有り様として表現されていたことに大変感動させられた。

こんな、心の触れあいの必要性が、カラスのつがい、シャケの壮絶な生命保持の戦い、そして藤沢周平先生が表現する人と人との安らかな触れあいなどを通し、子供への思いやり、他者へりの暖かい思いやる世界を如実に知ることが出来た。

どうしても「心を取り戻した世界」が必要であることがわかるところだ。

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