【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「チャングムから三毒の煩悩を知る」

〈更新日: 2006年01月01日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

平成18年明けましておめでとうございます。
暗かったこれまでの経済世相からようやく少しの木漏れ日が差し込める世の中に成って来たのかなと思える年明けです。

昨年は、私事と新寺院建立などで忙しい日々を過ごしました。お陰で大過なくしかも新寺院建立という大きな事業を手がける事が出来、そして順調にスタートを切る事が出来ました事にお大師様と多くの檀信徒の皆様に感謝いたしたい気持で一杯です。

新寺院建立の苦労と様々な経過についての記述は、後日また手がけることといたします。
今回は、今日の世相についてから私述してみようと思います。

昨年のもう一つの大きな印象として残るものは、1年間を通して見ることができた韓国映画「チャングムの誓い」でした。

家内と2人でそれこそ夢中になって見た映画でした。私がこんなに夢中になって連続ドラマを見るなどとは初めてのことで、普通では考えられないことです。

それだけ強い印象に残ったドラマであり、色々な面で何かと勉強させられた映画でありました。また、これは16世紀の韓国に実在した人物を元に作られた映画だったことにも深い感銘を覚えたものでした。

印象に残った一例に、チャングムが宮廷女官の料理人としてハン・サングンに仕え、政敵として敵対するチェ・サングンの下で弟子となっている料理の天才女官クミョンとの間で、新しい次のチェゴ・サングン(最高位の女官)を決める為に、皇太后から課題を出され料理の競い合いを行った際の出来事です。

皇太后からは、庶民が捨てる食材を使って美味しい料理を作れという課題でした。

チャングムは、自分の料理は絶対に美味しい、絶対に負ける料理は作らないという自信過剰の下で、トロロンタンという牛の骨を長時間煮込んで作るスープ料理を、上手く手軽に作ろうとして牛乳を使って作ってしまい、競い合いで相手のクミョンに負けるシーンがありました。

当時、牛乳は庶民には手に入るものではなく、課題に示された内容とはかけ離れているものでした。確かに美味しいことには比類がなかったのですが、クミョンが手間ひまを掛けて作った料理とはかけ離れた内容になっていました。

このことを皇太后が指摘をし、師匠であるハン・サングンが気付くというシーンです。

この時、ハン・サングンがチャングムに対して叱った言葉に、「料理は、簡単に済まそうとして手を抜くと、料理は相手の為に作ってあげるという本質を見失ってしまう。
さらに仮に手を抜いて簡単にしかも上手に作れたとしても、その場合はあたかも簡単に出来ることがごく当たり前になってしまうことになり、それこそ食べる人、食べる相手のために料理を作るという本当の意味を失ってしまう。
ここに気付けないのは料理人として失格だ」と言われました。

このハン・サングンの料理を見つめる厳しい姿勢や物事を取り組む心構えの大切さ、極める道というものを示したことに大変印象に残るものでした。

また、チャングムが医女として修練を始めた際、指導者のシン・イクピル医師が、医師が本来持っているべき姿勢をチャングムに対して戒める際に述べた
「医師たるものは総明であるより、深みのある人であるべきだ」と思い上がったチャングムを指導した姿勢は実に印象に残ったものでした。

それら厳しい指導者の下で「相手の為に料理を作ってあげようとする心」、
「謙虚で、心から人を救って上げよう、助けてあげようと思う医師本来の心」を
身に付けていったチャングムに巨匠であった2人が心を開き、ひれ伏して弟子であるチャングムを認め、上司になることまで認めた師匠たちの姿勢にもにも感動させられ、勉強させられたものでした。

人は、力があっても、才能に優れていてもどこか常に謙虚である姿や心構えが必要であるという姿勢を教えていたものでした。

また、常に相手の立場になって料理を作り、患者の立場に立っての医術を施す、手当てを心がける姿勢は、
これこそ大乗仏教が教えの根本に据えている「自己のみための悟りではなく、他者の為に悟りを教え、弱き人々の救済のために生きる姿勢が如来の教え」という
大乗仏教での「慈悲救済が仏の心である」という姿勢が実に見事に描き出されていることを感じさせられました。

さて、そんな感動させられた映画とは裏腹に、昨年の現実社会では何とも興醒めする出来事ばかり起きていたように思えます。

小学生殺害など連続幼年者殺人、若年者殺人、親殺し、また親が我が子にまで手を掛ける事件、姉歯建築士による構造計算偽造事件など通常では考えられない事件が平然と起きました。

しかも、それら事件の加害者達は「俺には関係がない」と平然とした顔をし、冷血無知、無感覚で貪欲丸出しの餓鬼、畜生にも劣る人間性がまかり通っておりました。

また、一方で北海道のような経済悪化地域では、、それこそ他人のことなどどうでも良い、せめて自分足元だけを守ろうと必死の形相を見ます。

ここにも同様に他人への思いやりも弱者をいたわろうとする慈悲感覚を全く見失い、他人をねたみ、他人の失敗を喜び、スキあらば足を引っ張り、蹴落としてやろうとする冷血無知、無慈悲丸出しの寂しい心が垣間見られます。

これら寂しい心の中に流れている根源的なものは、「人の心のまずしさ」といえます。
この「心のまずしさ」は、世俗世界での最大の敵として仏教で認めている「三毒の煩悩」を意味します。

「むさぼり(貧)」、「ねたみ(瞋)」、「おろか(痴)」の「三毒の煩悩」は、仏教で言う人類が克服しなければならない永遠の命題とされているものです。

現在世界の各地で起きている戦争も元を正せばこの「心のまずしさ」即ち「三毒の煩悩」に突き当たります。

そして昨年起き続けた興醒めする一連の社会問題は、まさにこの心の根源に漂う「三毒の煩悩」に行き着きます。

今、私ども周辺に平然と繰り広げられている様々な事件や社会問題は、まさに「心のまずしさ」即ち「三毒の煩悩」を根源にして描かれる地獄絵そのものなのです。

しかし、こんな人類最大の敵であります「三毒の煩悩」を退治するために
「仏様を拝む心」、
「自分を捨てても他者を救ってやろうとする。慈悲喜捨の心」、
「他人の悲しみは自分の悲しみであり、他人の喜びは自分の喜びでもある。自他同利益の心」こんな「人の道を教えるべき、ごく当たり前にあるべき心」が必要とされます。

「チャングムの誓い」の映画の中で教えられた様々な心、人間模様は現代日本の薬です。
そんな為か75パーセントものの空前の視聴率を上げた背景には、単にドラマの面白さだけではなくドラマの根底に流れる「人の道を教える根源」に共鳴したからだったのではないかと推測しているところです。

私は、常々「貪りの心」ではなく「自他の利益を思える心」を持っていただくことを説いています。

移り変わりの激しい年を迎えております。今こそ「自分と他人を大切に思える心」をもう一度見つめなおし、「人を見て、世の中を見て、我が振りなおして1年を過ごして欲しいもの」と考えております。

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