【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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密教での「秘密」とは

〈更新日: 2006年06月01日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

一般に「秘密」という言葉は、何か特別なものを意味するように取られがちだ。
英語でのトップシークレットなどの言葉は、「極秘」という意味で、政府機関などでは「絶対に漏らしてはならない最高機密」という意味を持つ。

また、昔のNHK番組に「三つの秘密」、「私の秘密」、「秘密の扉」といったクイズ番組やドラマがあった。
これらの「秘密」は、隠されたものを探すといった類で「隠されているものは何か」といった意味を持つ。

このような内容を見ても「秘密」とは、一般的に「隠されて分からなくなっているもの」の意味として捉えられている。

しかし、「密教」に関して言えば、一般に「俗っぽい秘密の教え」と言われており「分からないもの」、「エキゾティクで何か不可思議なものを持ち合わせている教え」、「呪術的で迷信的な特別な何かをする宗教」といった内容で捕らえられがちである。

だから「密教」を呪ずる真言宗の坊さんは、不可思議な力を持った特別な坊さんとして捕らえられている。

それでは真言宗という宗派を作り上げた弘法大師空海は、うさんくさく、呪術的でエキゾティックな坊さんと見られているのかと言うとそうではない。

弘法大師空海は、「お大師様」として現代日本各地の庶民に親しまれ、誰にでも手を差し伸べてくれる仏様。
そして日本の言葉、文化、芸術、茶道、華道、土木工学、天文学の基礎さらには密教哲学をも確立とたとてつもない偉大な人物として捉えられている。

そんな弘法大師空海が日本に密教をもたらした歴史の一部を紐解くと。

延暦23年(804)7月6日 藤原葛野麻(ふじわらのかどのまろ)を正使とする第17次遣唐船の第一船に乗り込み、8月南方赤岸鎮(せきがんちん)付近に難破漂流した後、10月当時の都長安(現在中国西安)に向かい、12月23日に到着。

翌年24年6月から8月にかけ現在の真言宗の教えである密教を青竜寺(しょうりゅうじ)の住職 恵果和尚から授けられた。

また、その時の第二船には天台宗の開祖 伝教大師最澄も乗り合わせており、今考えれば当時の遣唐船には、今日日本の礎を築いた偉大な2人が乗り合わせていたことになる。

青龍寺には約1千人ほどの修行僧がいたそうだが、その並み居る僧の中から弘法大師空海だけにその宗教的受用能力が認められてただ一人密教の教えの全てを伝授された。

そして、恵果和尚は、弘法大師空海に全てを授け終わった同年12月25日にはこの世を去っている。

恵果和尚は、密教の教えの全てをもれ残さず伝えるために長い時間、その相応しい人材を探し続け、待ち続けたと言う。

考えてみれば、恵果和尚と弘法大師空海との接触、そして密教の伝授がほんの僅かな奇跡的な短時間の中で行なわれたことは、言葉で言い表せない宇宙における必然、法則でなかったかとさえ思える出来事であった。

それは、あたかも長い期間大海原を回遊し、最後に元の生まれた住処に回帰したシャケが産卵という大仕事をし終わった直後に一生を終える自然の摂理と何かしらラップするものがある。

不可思議というほかはない。

さらに、この時弘法大師空海は、当時の世界文化の中心であった長安において世界各地から集まっていた般若三蔵などの他数多くの外国要人達と交わい、密教、仏教の専門分野に留まらず茶道、華道を始めとする様々な文化芸術、土木工学、天文学などを習得している。
また、キリスト教である景教にも接して勉強している。

これら弘法大師空海が行なった出来事は、遠い過去の人が行なった過去の事ではなく、現在日本の政治経済、文化芸術、科学技術、教育分野など全ての基礎の中に生きている。

そして、それは現代日本人の中に脈々として溶け込んで、日本人のアイデンティティーとして生きづいている。

言い換えれば、弘法大師空海の生命が、現代日本人の日常生活の根底に生きていると捉えることが出来る。

しかし、その弘法大師空海の生命は、現代日本人には極当然のこととして生きており、庶民にとっては今や見えなく、気付かないままに毎日を過ごしている。
これは、何も隠れているものではなくて、当たり前になっていることに私ども庶民が、ただ気付かないだけなのである。

この見えなく、気付かない精神こそ「秘密」というのである。
このように気付かないままに通り過ごしている情況を「衆生の秘密」と呼ぶ。

一方、宇宙や自然が法則として常に教えているものがある。
例えば、ニュートンが発見した「万有引力」は、当初ニュートンは、「何故、リンゴが木から落ちるのだろう」と疑問を呈した。

研究の結果、「地球上では、地球の重力とリンゴの重力とが引き合い、重力の大きい地球に引っ張られるから、リンゴが木から落ちる」ことを発見した。

これは、リンゴが木から落ちることは自然現象だが、ニュートンは、自然現象の裏に隠されている自然の摂理である「万有引力の法則」を発見したのである。

このことは同時に「自然界の様々な現象は、常に移り変わるが、法則は、移り変わらない」という論理も見つけ出したのである。

お釈迦様も同じように「人間を含めた全ての自然の事象は、常に移り変わる」即ち「諸行無常」という法則を発見されている。

このように私ども庶民が分かろうと、分かるまいとに関係なく、常に法則ととして成り立っている事をも「秘密」というのである。

これは、宇宙や自然が最早、崩しようが無く成立していることであって「真理」とか「法則」とかと言い、如来様(仏様)から常時無辺に教えを説いている「秘密」として捉えて「如来の秘密」というのである。

別の言い方をすると「法身(ほっしん)が常に説法をしている」と弘法大師空海は言う。

このように見てみると単に「秘密」と言っても2つに分けられている。

真言宗は、この両方の「秘密」をどのように捉え、どのように自分のものとして捉えるかをテーマとしている宗教である。

これが、所謂「密教」のテーマであり。そしてのテーマを解き明かすために「大日経」、「金剛頂経」という2つの経典が、その解決方法を説いているのである。

そして、最終的には「絶対的に心が安定する世界」を説くもの、所謂「成仏」又は「往生」とは何であるかを説いているのが密教である。

「密教」は、呪術を行なって霊界を説いたり、人間とかけ離れた超人世界や忍術を行なうと考えるものではない。

最近の世の中は、トランプ占いや占星術、易学、呪術といったうさんくさい類が盛んだ。

言うなれば、これらは所詮、その時の事象に対して思いつきや直感によった方法論に過ぎなく、絶対的な真理や法則に基づいた方法ではない。
だからこれは、所詮一種の流行歌みたいな姑息な気休めを示すもでしかない。

ただ、今日このようブームが盛んになっていることは、言葉を換えれば「現代日本の世の中の人間は、物質生活に満たされていても、心の世界、精神世界は、とてつもなく貧困になっている」と捉えることが出来る。

平安時代の昔、藤原道長全盛時代には、優雅な生活の裏に「幽霊」、「魔界」、「物の怪」などに真剣におびえ恐れおののいた貴族社会があったと聞く。

この事実も、当時の貴族社会が物質に恵まれすぎて、心や精神世界に不安や異常を感じていた現象を示している。

過去にも現代と同様の不安な精神世界を示す時期があった。

現代のように物質的、社会的な安定期を迎えて、全てに対して目標を見失っている社会では、もっと刺激の強い、もっと贅沢を求める「心の乾く状態」が生まれている。

この「心が乾く」ことは、家庭や親子など一番つながりの濃い中にでさえも希薄が生まれ、不信感や憎悪がつのる関係が生まれ、親子の間でさえ殺し合いが起きる現実だ。

さらには、未来や夢を語るべき若者達に絶望感と悲壮感ばかりがはびこり、殺し合いさえも生んでいる関係が出来上がっている。

まさに、今日世界は、地獄世界そのものである。

そして、不安や恐れを解決するために、姑息な占いブームに載せられている。ブームに染まる人間は、麻薬やドラッグ依存症と同じで、一時的な気休めに味を占めても、また次に刺激の強い、自己満足する方向に依存している。

これでは、精神や心に根本的な解決になっていない。

現在もこうであるのに今後の日本社会は、ますます個人の力量が必要とされるより一層の実力主義社会に突入すると言われている。

このような時に、姑息な占いや新興宗教の手っ取り早い言葉に踊らされ、生き方を左右されてはたまらない。

姑息な手段は、あくまで姑息であって生き方の根本解決を見出すことにはならないことに気付く必要がある。

安定した精神、心の世界を見出す事は、一足飛びにできるものではない。
思い悩み、苦労があり、あちこちと高い壁に心をぶつけながら根本的な解決に向かおうとするのである。

そんな中、今後の日本人のあり方を見つけるためのヒントが、真言宗が教える「秘密」の言葉に隠されている。

密教の教えは、難しいとして頭から遠ざけるのではなくて、もっと中味に接し、身近なものにしていただくことが大事ではないかと思うところだ。
弘法大師空海は、あらゆる所から、どんな所でも語りかけてくれている。

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