【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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虚空蔵菩薩求聞持行回想及び社会で実践した臨床事例記録~求聞持行回想、瞑想分析、五つの臨床事例、不動護摩修行回想他の記録|著者 高山 誓英|定価2,000円(税別)|成田山真如院住職「高山誓英」初となる著書「虚空蔵菩薩求聞持行回想及び社会で実践した臨床事例記録」が出版されました。僧侶としての修行とスピリチュアケア学、臨床瞑想法理論と実践、様々な社会的な臨床事例から気付いた回想記録を一冊の本にまとめました。

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「スピリチュアル・ケア・ワーカー研修を終了して」

〈更新日: 2011年04月22日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

私のお寺は、北海道北西部に位置する片田舎にある小さな祈祷寺です。
その為、昔から地元漁師さんや農家さん山に従事する人たちが「安全に仕事ができますように」とか「大漁でありますように」とか「豊作でありますように」などとお不動様に願いを掛け祈りのできる庶民のお寺になっています。お陰で宗派を問わず大勢の皆さんがご祈願に立ち寄っていかれます。
ところが20年近く前からお寺に来られる方々の願いが大きく変化し出したことに気付かされました。
それは「お不動様に病気が治るようにお願いして欲しい」とお参りに来られる方々が「実は、精神的に不安定で何かに取り付かれているようで変なのです」といった類の訴えが多くなったのです。
よくよくお話を伺いますと祈祷のお参りだけでは解決できそうもない専門的な病気内容を伴うものが多くなっていることに気付かされました。
勿論、精神医学や臨床心理学を知らない私にとって専門外なので対応できないと断ることは可能でしたが、最後の拠り所としてお寺を頼って来られる人を無碍に追い返すことなどは出来ませんでした。
「庶民救済」を目的としているお寺が「救済」をしない場所になってしまったらお寺の持つ存在意義は全くなくなってしまうからです。考えて見ますと私ども僧侶は、口先では「衆生救済」を言いますが、では具体的に何をどうするのかと問われますと皆さん尻込みして逃げ出しているのが現実です。

エピソードを一つ取り上げてみます。
あるとき私は、ある酪農家の奥さんの離婚相談を受けておりました。この奥さんは、働き者でお年寄りの面倒、子供達の面倒、そして仕事の他にも家事を十分こなす人でした。ところが急にご主人との折り合いが悪くなり離婚したいと訴えてきました。しかし、優しい人でありましたので、自分がいなくなった後の仕事、年寄り夫婦や子供達のことを考えると心配で決断が出来ないでおりました。あるときひょっこり私の前に現れて「離婚を決断しました」と言われ、次の段取りまで詳細に説明されて行かれました。私からは「どうしてもとおっしゃるのなら、仕方がありませんね」と了解してその場を終えました。それから数日後だったと思いますが、丁度私が家内とスーパーに買い物に出かけた時のことでした。ご主人と一緒に買い物に来られていた奥さんが、私を見つけて声を切らして走って来られ嬉しそうに言われたのです。
「離婚しなくてすむようになりました。いろいろお世話になり有難うございました」
私からは「そう、それは良かった。安心しました。」と答えました。
正直言いまして肩の荷を降ろした気持ちになったものです。
ところがその翌日の朝その奥さんは、入水自殺されたのでした。
その報告を私が受けました時、目の前が真っ暗になり、動悸は打つ、足元がガクガクと震えている自分を知りました。
「スーパーの前で走って来られた時、どうして私は、彼女の気持ちを汲めなかったのだろう」と
繰り返し打ちのめされました。
それからです。 「これではいけない。話を聞いてあげると言っても何も相手の立場に立って聞いていないではないか」と考え始めたのでした。

そんなモヤモヤした気持ちでいた時にスピリチュアル・ケア・ワーカー研修があることを知りました。しかも、高野山真言宗本山が関わっているということを知り、これはどうしても参加しなければならない。そしてお大師様のお膝元で心の痛む末端庶民に救いの手を差し伸べる手段や手立てを身に付けなければ成らないと一念発起したのでした。
その時以来今では4年の歳月が過ぎました。
今ここでいえますことは、非常に勉強になったということの一言に尽きます。
大下先生から教わった「仏教、密教から見るスピリチュアル」、窪寺先生からの「キリスト教から見るスピリチュアル」、谷田先生からの「医療から見たスピリチュアル」これら3つの教えから「スピリチュアル」とは「社会の中で人間として生きる為に培って掴み取った根源的なもの」別の言い方をしますと「生命を司る根源的なもの」として理解出来ました。その他に山添先生からの「交流分析」、カールベッカー先生からの「悲嘆ケアや死生学」、松本先生からの「深層心理学や無意識世界、影の心理学」、田村先生からの「サイモントン療法」、大塚先生からの「ロジャース心理学と自閉症等に関する発達心理学」、西川先生からの「家族心理療法」など多様な方面から学びがありました。
中でも私にとって非常に影響の大きかったものは、彦根市立病院緩和ケア病棟におけますガン患者さんに対します臨地実習でした。中でもガン患者さんに対して私が施した「ナラティブセラピー」や大下先生が施されました「瞑想療法」を臨地体験したことです。そして、実際に対応させて頂いたガン患者さんの病状が一定の安定性を示す成果を施せたことでした。私は、このスピリチュアル・ケアが実際に、ガン患者さんに対して大きな力を有していることをその時に初めて理解できたものでした。
もう一つは、自分の臨床事例を専門の先生の前で発表し、問題点を的確かつ鋭く指摘されるスーパービジョンでした。私は、現代社会でクローズアップされている精神疾患「境界性パーソナリティー障害」について取り上げましたが、大塚秀高先生から鋭く指摘、追及されました。
このお陰でクライエントに対して向かって行く自分の心構えや自分が行える範囲(準拠枠)を十分に理解できたことが大きい成果になりました。
そしてこれらの経験から「生命(いのち)に寄り添う」という思想を座右の銘とすることが出来ました。

さて、現代社会は、あまりにも問題がありすぎる時代になりました。しかし、問題を持ち込む人は多い割には、その問題に対して対処できる人材は極端に少ないことが分かります。
そんな中宗教界に期待する声は日増しに大きくなっております。人と身近に接する機会を多く保持する僧侶は、そのような社会問題に直接関われる最前線にいるからです。しかも僧侶は、庶民にとって大変心許せる存在であり安心できる存在でもあります。ですから社会の中に積極的に入って社会的弱者救済の手を直接差し伸べることの出来る僧侶の存在が高く求められております。
私は、4年間の「スピリチュアル・ケア・ワーカー研修」が終了いたしました。
それでは今後どうするかと言いますと。まず私の自坊に「心療室」を設置いたします。そして、ここでは「心に病を持たれている方」などを迎えてカウンセリング、傾聴、瞑想、掃除、散策、祈祷、供養等を通して少しでも病んでいる方の心や生命に寄り添える時間を作ってあげようと考えております。
また、病院で経験させて頂いた「ガンの緩和ケア」に関しますお手伝いも出来ればと考えております。そしてゆくゆくは、仏教徒でありながら緩和ケアを望む患者さんや心の病を持った方々を受け入れられる施設をお寺の中に設けたいといった希望を持っております。
この研修を終了するに当たり、現代において寺院や僧侶がするべきことは何なのか、求められているものは何なのかをあらためて思い知らされました。そして、この研修には高野山真言宗が大きく関わっていること、そしてなによりも御大師様の教えが研修の原点にあることも知りました。
このことは、私自身が高野山真言宗僧侶であり末徒であることに誇りを感じるものがあります。
この有り難さを御大師様にご報告し末尾とします。

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