「渋沢栄一」著書「論語とソロバン」を読んで
〈更新日: 令和3年6月14日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
「渋沢栄一」著書「論語とソロバン」を読んで
コロナ感染症が発生して最早2年目になった。重苦しい社会状況が漂い、何か内に籠った心理状態を示す人々がお寺の門を叩いて来る。聞き入って面接してみると、どの方々も特別に緊急性を示す内容はない事が多い。
「何となく何かスッキリしない」、「家の中に一人でいると寂しくて仕方がない。何が病気なんだろか」
こんな何とも、ととりとめのない不安を秘めた心の相談が多くみられる。
「あぁ~、お不動様の前で涙を流したらスッキリした。お不動様、ちゃんと受け止めてくれたんだね」
「ご住職にお話を聞いて貰って安心した。しかも瞑想まで手ほどきして貰いホットした」
こんな何気ない会話が出来るお寺こそ、私が求めているお寺の姿なのだと一寸とした安堵感が生まれる。
先日、入院している際に、渋沢栄一氏の著書である「論語とソロバン」という単行本を読んだ。大正4~5年ぐらいに書いたようで大正デモクラシーの安定した社会の中で書かれている様子が見え隠れしている。
渋沢栄一は、江戸末期天保十一年(1840)、武蔵国血洗島村(今の埼玉県深谷市血洗村)に生まれた。家は、養蚕や藍玉を生産する豪農家であった。六歳の頃から「論語」など手習いを始めると七歳で「四書五経」や「日本外交」、「日本政記」など本格的な日中の古典の教えを受けていたという。また、同時に十二歳の頃から神道無念流を学び剣術も身に付けていたようだ。こんな事から農業に従事しながらも江戸末期の激動期の時代の流れに巻き込まれていった。十代の若い頃は、尊王攘夷など当時の世に蔓延る様々な思想に影響されたようだ。
江戸幕府を討伐して新しい日本国を作らなければ成らないと言う熱い思いを全身にみなぎらせ、無我夢中で世の中を走っていた。所がその途中、一橋家家臣平岡円四朗との出会いが、その後の栄一の人生を変える運命が待ち構えていた。当初は、尊王攘夷と言った過激思想をただひたすら振り回していたのに、いつの間にか平岡の影響の下、ことも有ろうに敵と思っていた一橋家の家臣となってしまう。ここら当たりが、その人の持つ不思議な運命が隠れている特別な人生の歩みなのだろう。そのあと江戸末期の様々な激動期に一橋慶喜が将軍に成ったことから栄一の激動の運命が展開される。当時、フランスでは、ナポレオン3世の政治下で国際万国博覧会が開かれようとしていた。ナポレオン3世は、日本の将軍慶喜を博覧会に招待した。そこで慶喜は、弟の徳川昭武を代表の長として参加させ、その随行に頭の固い水戸武士達に加えて柔軟な頭の持ち主である渋沢栄一を選んだのである。農民であったはずの栄一が日本国を代表した使節団の一員として選ばれたのは奇跡と言って良いほどの奇遇な出来事と言って良い。この事実は、渋沢本人のみならず明日への日本の政治、経済の大変革を起こす要因となったのは周知の事実となっている。
栄一は、当時フランスを中心とする資本主義経済や経営学、民主主義思想など世界の先端思想を学んだ。
日本国は、何故こんなに遅れているのだ。考え方や経済の運営システムが根本から違っている事を学んだ。
要するに徳川幕府が国を治めている基準は、儒学思想を取り入れた士農工商という階級制度にあった。そしてその頂点に徳川幕府が君臨して精神的資質、上下関係のみを維持する精神規律によって社会頂点に武士階級を置き秩序を維持した。権力を集中した徳川幕府は、専制体制を築き上げて武士以外の階級の者は、ただ黙ってお上(武士)の言うことを聞いていれば良いと押さえつけた。いかにも儒教の朱子学の教えに沿った鎖国と専制主義による社会統治を行っていたのである。所が武士階級を支える経済は、農民からの年貢米のみに頼った脆弱な分配型経済体制だった。しかし世界経済の流れは、17世紀ヨーロッパを中心に大きな変革が起きていた。分配型の経済方式などと言った前近代的な経済体制は既に終わっており、世界は、貨幣と商品との等価値制度を導入した交換方式による新しい貨幣経済活動に移っていたのである。渋沢栄一は、日本が世界の潮流に取り残されている現実に驚き、フランスで学んだ経済学や経営修法を明治政府の中に入って実現させた。栄一がフランスから帰国した時は、徳川幕府は崩壊し新しく天皇を中心とした立憲政治体制と言うべき明治新政府に移行していた。当初大蔵省に入省しただがすぐ辞め、日本に本当の経済活力を付けるには、民間活力の力が必要だとして銀行や証券取引所、製造会社など数限りない民間会社を作り上げた。その基本理念は、決して利益、お金は、個人のものにはしないという理念であった。儲けは個人のものではない。広く日本国民に還元させてこそ価値が生まれるという理念の下に活動した経済人だ。この理念こそ今の日本の資本主義経済の源流として流れている事を知っておくべきだ。弘法大師が日本文化の礎を築いた事と同じく考えさせられるものがある。