神様と仏様の両方を信ずる日本人の宗教観
〈更新日: 令和8年6月2日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
神様と仏様の両方を信ずる日本人の宗教観
厚別神社は、清田区全般周囲の多方面から多くの信者が集まる比較的大きな神社だ。そのすぐ隣に札幌分院がある。神社を参拝された多くの方々は、同時に当山のお寺を参拝される。
「こんな近くにお寺が有るなんて知らなかった」と言ってお不動様や脇本尊様に手を合わせて帰られる。
日本人は、正月には神社にお参りし、葬式は、仏式で行い、そしてクリスマスケーキを食べてキリスト誕生のお祝いもする。また、日本全国での地域の神様の祭り行事、ご先祖供養の盆踊り行事に喜んで参加する。
京都の祇園祭り、大文字焼きや地域の小川でのご先祖の霊を慰めるトーロー流しの行事にも参加する。
一昔前まで西欧の方々や多くの日本人は、「可笑しいのではないか、なんで他宗教の行事や地域での行事まで日常生活に取り入れるのだ、一つになっていない、ごちゃ混ぜだ」という声が圧倒的に多かった。
そして、このような考え方や思想は、一元思想、一神教に下づく西欧的価値観には不必要とされていた。
勿論国際社会からも国家、社会からも政治経済からも受け入れられないと拒否され続けられて来た思想だった。
しかし、21世紀に入ると多様化社会が世界的に流行し、多様化文化やマイノリティー文化、LGBT(性的少数者)などが国家、社会の中で一般的な事象として取り上げられならなくなった。
これまでは、限られた西欧思想や価値観でなければ国家や社会は成立しないと言う拘った思想が中核にあった。しかし現代では、多様な価値観を認めなければ国家や社会が成立しないという柔軟に思想を認める姿勢へと大きく変化した。
特にキリスト教やイスラム教のような一神教の絶対的信仰形態の在り方が、現代国家や社会の中で徐々に大きく乖離し始め、大きく変化し出していることに気付かされる。
勿論、伝統的な宗教観や習慣が無くなった訳ではないが西欧やアメリカ国家内部での生活感の中での乖離や国家姿勢に対する矛盾を感ずる姿勢変化は大きい。
ここ数年私共のような小さな仏教寺院にも、仏教の宗教観や儀式について見学もしくは実際に宗教の中身を知り信仰しようとお寺に参拝される外国の方々が見られるように成った。中でも日本人の神様への信仰と仏様への信仰を一色単にした日本人の信仰心の在り方や人間性の在り方について疑問を持って見つめながらも興味を持って見つめ、接触を試みようとする西欧の方々が見受けられる。
宗教学者である島田裕巳氏の著書を読むと日本人の宗教観の在り方にについて詳しく解説している。
島田氏は、「日本人には、全ての自然の中のどんな所にも神様が存在する。それは、自然のどこにでも生命が存在するというアミニズム思想が神武天皇の古代から現代まで日本人の心の中に根付いている」と指摘する。
例えば日本人がお墓で手を合わす姿を見て西欧人は、「何で石に手を合わせるのだ」とこれまで笑って馬鹿にしていた。
日本人の宗教観は、古来縄文以前から出来ていたと言われている。そして奈良時代に成り仏教の教えが日本に伝来し、聖徳太子が政治の中に仏教を取り入れて日本国を統治したことで、アミニズム思想と仏教思想の両方の宗教思想が一緒に根付いたのだと言われている。そして、古代から現代の今日まで続いている日本人の宗教観について別の言い方をすれば「神仏融合とか神仏混合」の宗教観と言われている。
ただ明治維新の一時期、日本の純粋な神様への信仰思想に立ち帰ろうと主張した平田篤胤らの学者がいた。
西欧文化の一元的な宗教的価値観に基いた祭政が一致した王政国家に戻るべきだという思想運動が盛んに成った歴史がある。
この時に廃仏毀釈運動が行われ多くの仏像が壊され、寺院が焼き払われた。
島崎藤村著書「夜明け前」に記述する内容はその混乱期と新思想運動の歴史に関わった人間模様を描いている。
しかし幕末から明治初期の混乱期にあっても「家長が家と先祖を受け継ぎ、先祖と家族を守り崇拝する」と言った仏式による先祖崇拝習慣は継続していた。そして古来から受け継いでいるアミニズム思想が日本人の心の原点からも消えることなかった。
この両方の信仰姿勢が心の根本に受け継がれていることが分かった時、新しい思想運動は2~3年で挫折した。
ここは、藤村も島田両者の主張は一致する。
21世紀なった今日、西欧思想もアメリカ宗教観もイスラム教宗教観も政治経済や独裁的な政治思考により宗教の根本概念は大きく変質している。
そんな中日本人が心の中に持ち続ける「万の神々」、「全ての生き物の生命の尊重」、「先祖崇拝」など多様性に対応できる姿勢の在り方が、新たな心の未来、新たな宗教思想の方向を見つけ出そうとして仏教信仰や密教信仰の思想や儀式心の在り方を探っているのが現代人の心の姿勢なのかなと私は、分析している。





























